八幡宿は慶長年間の慶長6〜7年(1601〜02)頃、中山道宿駅整備のおり、北方御牧原南麓や近辺に散在していた八幡村・桑山村・蓬田村の3ヶ村の住民63軒を街道沿いに移して伝馬屋敷とした。 宿内町並みは東西7町25間、東端は屈曲して枡形をなすが、西方は枡形は無い。本陣1・脇本陣4・問屋2。町並みの宅地割は間口6間が基準であったと思われるが、3間間口で奥行きが深い家が多かった。天保年間(1830〜44)の旅籠は7軒で総家数143に対する比率は低く、大通行の時は宿端の八幡神社神官宅も使用していた。 小規模な宿駅だから、継立て業務で助郷村々との折り合いがつかず度々訴訟を起こしている。文久元年(1861)江戸へ下向する皇女和宮はここに一泊している。 天保14年(1843)中山道宿村大慨帳では、宿長さ東西7町25間・家数143・人数719・本陣1・脇本陣4・旅籠3・問屋2とある。 東方塩名田宿へ27町、西方望月宿へ32町とこの辺りの宿駅間の距離は短いのは、この辺りの土壌に起因している。5月〜6月にかけての長雨時には強粘土質のため、通行に支障を来たし、一泊を必要とした。それとこの辺りの宿は規模が小さく助郷村も小さいので、大通行時には前後の宿場に分宿をするためだった。 古い町並みは宿端にある八幡神社からはじまり、旧中山道に沿って展開している。 切妻造り平入りの建物が多い。袖卯建を備えた家、千本格子を残した家等に混じって、本陣門も残っていたが、比較的宿場町の雰囲気が少ない町並みであった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1990年 長野県の地名 平凡社 下中邦彦 1979年 長野県の歴史散歩 山川出版社 長野県高等学校歴史研究会 1996年 中山道歴史散歩 有峰書店新社 斎藤利夫 1997年 |
桑山の町並み |
桑山の町並み(本陣門) |
桑山の町並み |
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