坂城町は長野県の中央部に位置し、町の中央部を千曲川が北流している。同川流域に展開する豊かな沖積台地である。 坂木宿の成立は慶長8年(1603)から北国街道が整備された慶長16年(1611)の間と考えられている。坂木宿には高田藩・坂木藩の陣屋がおかれ、近世行政上の中心となっていた。最初の宿場は横町と立町であったが、参勤交代などで通行が多くなり旅宿が不足したので、代官長谷川安左衛門が、新たに新町と大門町を宿場に造成し、近隣の住民を集めて宿屋敷を形成し、宿場維持のため飯盛女を許可した。 坂木宿内は東の間宿の鼠宿から続く横町が東西に、そして北に折れれ立町、大門町と北に進み、西に折れて新町と続いていた。 坂木村は安永8年(1779)の村明細帳に東西35町・南北30町。枝郷は5集落あり家数546・人数2,113とある。市日は3・8の六斎市で、元禄2年(1689)に成立したが、村困窮で立たなくなったとある。 この地では江戸時代から煙草栽培が行われていて換金作物として普及していが、幕末からは養蚕業が煙草に代わって行った。財政難に陥っていた松代藩では養蚕を推し進めたので、桑植付け面積が飛躍的に増加し、一面桑畑が広がった。繭仲買人も多く生まれ、絹・紬の生産は幕末に向かうにつれて盛んになった。 今、町並みを歩くと、大門町の辺りに古い伝統的様式の家屋が残っている。切妻造り平入り、中2階建・2階建の間口の広い重厚な建物が並んでいる。袖卯建を備えた家、養蚕が盛んだった頃の屋根に大きな空気抜きを備えた家、煙出しを備えた家、千本格子を備えた家等などが残っている。そんな中に本陣門が残っていた。珍しく入母屋造りの門で土蔵の様に土壁で覆われいた。 長野県の歴史散歩 山川出版社 長野県高等学校歴史研究会 1996年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1990年 長野県の地名 平凡社 下中邦彦 1979年 |
坂木宿ふるさと歴史館 |
坂木宿本陣門 |
坂城の町並み |
坂城の町並み |
坂城の町並み |
坂城の町並み |
坂城の町並み |
坂城の町並み |
坂城の町並み |
坂城の町並み |