佐渡市戸中の町並  
戸中
地図


戸中の町並

 佐渡市戸中は佐渡ヶ島西部、外海府海岸に面する。
戸中村は戸地川を境に南は戸地村、北は南片辺村。海際に迫った急な海岸崖の上と下に集落がしのぎ合っている。
天正年間頃(1573〜92)、栗野江の孫右衛門と沢根・鶴子銀山の孫十郎が来往して当村を開いたという。孫右衛門は漁業を営み、孫十郎は鉱山を稼いだのが村の始まりと云う。
村高は元禄7年(1694)検地帳665石余、田36町8反余・畑12町2反余。「天保郷帳」674石余。慶安年間(1648〜52)頃から鹿野浦川南岸から戸地川にかけての段丘の開発が進み、新田が次々に成立し、ほぼ現在に近い水田と畑地が開かれた。
元禄7年(1694)検地帳では家数85・人数440。寛文8年(1668)の史料に塩釜・平釜2個が見え、塩焼きをしていたことが伺える。「巡村記」によると、天保12年(1841)の家数90・人数529、村高674石余、田36町余・畑18町余で、漁業も盛んであった。
段丘崖面にも家が建てこみ、弘化2年(1845)の書上げによると、家数98軒で現在(昭和の末)とほぼ同じ。
今、集落を訪ねると、佐渡一周線の県道45号が集落の下の段の上、上の段と同じ高さで高架になって集落の端、海岸沿いを通っている。小さな鄙びた農漁村に相応しくない近代的な構造物で少し異様に感じる。集落形態は典型的な農漁村と思われるが、農村の要素の方が大きいとの資料があるが、板囲いの家屋の密集は漁村の感じだった。
町並み指数 30
参考文献  
  角川日本地名大事典  角川書店  角川日本地名大事典編纂委員会  1989年
  新潟県の地名   平凡社    (有)平凡社地方資料センター   1986年


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