佐渡市多田は佐渡ヶ島南東部、日本海を隔てて本州越後に相対している。 多田村の江戸期は幕府領。村高は「天保郷帳」254石余。元禄7年(1694)検地帳では田10町余・177石余、畑10町余・74石余。 「巡村記」では天保12年(1841)の家数79・人数411、村高254石余、田10町余・畑11町余。 松ヶ崎湊の補助湊として機能していたので、船宿が多く繁栄していたが、問屋が少なかった。山越えで国仲平野(県道181号線)への入口にあたり交通の要衝でもあった。 天保9年(1838)の村書上げ帳によると漁船28艘・廻船6艘。 「佐渡四民風俗」によると、松ヶ崎村が「浪荒き節は多田村にも船掛り仕候(中略)此辺松前へ稼に参り候もの多く、秋頃帰国の節は松前物数品売買致し候」とあり、松ヶ崎湊とともに松前稼をする者が多かった。 明治初年以後松ヶ崎番所が廃され、それに代わる港改所や通商会所などが多田に置かれ、旧松ヶ崎四ヶ村の中心となった。大正期には味噌・酒の醸造業や船宿から転じた料理屋が栄えた。 多田の古い町並は、港の近く河内川河口の小さな地域であるが、古い旅館建物が濃密に残っている。解説に有るように料理屋や旅館の建物ばかりと云える町並である。どうしてこのような旅館や料理屋の建物ばかりが連なって残ったのかは不思議と思える町並である。是非このまま保存したい町並と思う。 角川日本地名大事典 角川書店 角川日本地名大事典編纂委員会 1989年 新潟県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1986年 |
多田の町並 |
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