佐渡市小木町の町並
小木町
地図


小木町の町並

 佐渡市小木町は佐渡ヶ島の南部、小木半島小木海岸に位置する。城山の付け根辺りを中心に西側の内の澗(ま)と東側の外の澗(ま)沿岸に集落がある。
江戸期は幕府領。小木町村は江戸初期に木野浦村から分村して成立。村高は「天保郷帳」448石余。「巡村記」では天保12年(1841)の家数377・人数2,226、村高448石余、田7町余・畑34町余。
内の澗を半円状に囲むように集落があり、湊も内の澗が中心であった。慶長9年(1604)大久保長安が家臣の原土佐を小木城に置き、小木湊を開発し、慶長19年(1614)越後への渡海場とした。佐渡の金銀は小木湊から出雲崎まで運ばれ、信濃国を経て駿府(現静岡市)や江戸へ運ばれた。
寛文11年(1671)奉行所は内の澗と外の澗の間に潮通し(水路)の開削を命じた。これは内の澗より水深の深い外の澗へ大型船を寄港させるのが目的であった。
寛文12年(1672)の河村瑞軒による西廻り航路開設に伴って、大型船の寄港地としての性格を持たせたものであった。そして小木港は船の停泊港(風待ち港)として、越後近辺で最も安全な港となり、西廻り航路の拠点としての地位を確立した。越後各地から50石積ほどの船で運ばれた米は、小木港で500石〜1000石積ほどの大型船に積み替えられて大坂にむかった。
小木港は以来諸国廻船の寄港地として繁栄を極め多くの問屋仲間もいた。享和2年(1802)の大地震で小木は1m程隆起し、その時の海岸線が今の裏通り(国道350号線の一本海側の道)である。
そして明治初年に発展の頂点を迎えたが、蒸気船の時代が来ると繁栄は陰りを見せ、西廻り航路も終焉を迎えた。港町であったが漁業は振るわなかったようで、港町・物資の集散地としての機能を持った町として発展した
小木町の古い町並は県道45号線の両側に展開している。板張りの家屋で平入切妻造りで、中には出桁造りの家屋も見られる。民家は隙間なくぎっちりと軒を接して建っている商店街の町並である。
明治37年に大火で焼けているので、古い民家でもそれ以後の建物だろう。
町並み指数 40
参考文献  
  角川日本地名大事典  角川書店  角川日本地名大事典編纂委員会  1989年
  新潟県の地名   平凡社   (有)平凡社地方資料センター   1986年
  新潟県の歴史散歩  山川出版社  新潟県の歴史散歩編集委員会   1996


小木町の町並

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