佐渡市真野新町は佐渡ヶ島の中央部、真野湾の東奥に位置する。 江戸初期に成立したと思われ、新町村の村高は元禄7年(1694)検地帳202石余、「天保郷帳」207石余。元禄7年(1694)検地帳では田7町余・111石余、畑9町余・90石余、海岸端に塩畑約2町歩、製塩(兼農)に携わる者28戸が見られ、製塩のため近隣から海辺へ下りて生計を営んだ人達もいた。 天正17年(1589)の上杉氏佐渡攻略によって廃城となった雑太城・吉岡城の城下の人々が台地下の海辺に集まり村が成立したと云う。「駅馬のため」と記すので、旅人のための商売を中心としたのだろうと思われる。 小木湊が整備され、越後との間の要津として指定されるのが慶長19年(1614)であり、以後奉行所の置かれた相川との間に小木街道も整備されて、新町村は交通の要地となり宿場町として発展した。 「巡村記」では天保12年の家数137・人数1,018?。「佐州巡村記」では家数171・人数767とある。 北海道松前との貿易が始まると、周辺の生産物の集荷地となり賑わった。宝暦年間(1751〜64)頃から新町塗という漆器業が起こり、一部今も続いている。 今、国道350号線の両側に町並が連なっている。平入2階建て切妻造り板張りの家屋が並ぶ。 道路拡張によって古い町並が壊されたのだろう、建物は比較的新しいが、伝統に基づいて建てられた家屋が隙間なく建ち並ぶ。中には造り酒屋さんも健在で、観光バスで乗り付ける観光客も多く見られた。 角川日本地名大事典 角川書店 角川日本地名大事典編纂委員会 1989年 新潟県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1986年 |
真野新町の町並 |
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