佐渡市北片辺・南片辺は佐渡ヶ島西部、北海府海岸に面して位置する。 江戸期は北片辺・南片辺共幕府領。 北片辺は近世初頭に鹿野浦から移住した百姓と石花川河口部で炭釜新町を形成していた人たちが集まってできた村とされている。村高は元禄7年()検地帳394石余、「天保郷帳」395石余。元禄7年検地帳では田324石余・21町余、畑70石余・7町余。「巡村記」によれば、天保12年の家数79・人数388、村高395石余。明治15年の家数79・人数447。 南片辺は口碑によると古くは南片辺を南所、北片辺を北所と称し、もとは一村であったという。村高は元禄7年()検地帳352石余、「天保郷帳」353石余。元禄7年検地帳では田309石余・20町余、畑43石余・4町余。明和6年()村明細帳では家数50・人数254、牛78。「巡村記」によれば、天保12年の家数47・人数240、村高253石余。明治15年の家数47・人数256。牛の飼育は江戸時代から盛んで、文化4年(1807)の村明細帳では116疋で、有力な収入源であると共に、農耕にも生かされていた。明治中頃までは製炭や木挽職人が多かった。 今、海岸まで迫った山と海の間の僅かな平坦地に、北・南片辺の集落が板囲い家屋で迎えてくれる。海岸に沿って展開しているが、漁業集落でなくて農業集落とのことである。でも、防潮堤の内側には僅かではあるが、船を収納したであろう船小屋が見られる。今では倉庫として利用されている模様。そう云えば集落内を歩いても漁の気配や道具が見られなかった。 角川日本地名大事典 角川書店 角川日本地名大事典編纂委員会 1989年 新潟県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1986年 |
北片辺の町並 |
北片辺の町並 |
北片辺の町並 |
北片辺の町並 |
南片辺の町並 |
南片辺の町並 |
南片辺の町並 |
南片辺の町並 |
南片辺の町並 |
北片辺の町並(船小屋と思われる) |