佐渡市稲鯨の町並
稲鯨
地図


稲鯨の町並

 佐渡市稲鯨は佐渡ヶ島西部、七浦海岸に面し、二見半島の先端近くに位置する。
江戸期は佐渡ヶ島全島が幕府領。稲鯨村の村高は元禄7年(1694)検地帳227石余、「天保郷帳」250石余。元禄7年検地帳では田19石余・1町余、畑208石余・23町余。
漁船を係留する港湾に恵まれ、延亨3年(1746)の村明細帳をみると、男の稼ぎは漁猟とある。寛政元年(1789)の道中案内帳によると、械役船家数は100艘を所有し、家数は186・人数747とある。
「巡村記」によると、天保12年(1841)の家数197・人数1,175、高250石余、田1町余・畑40町余。
稲鯨村は紀伊国岩崎村からの移住者によって開発されたといい、岩崎姓が多く、純漁村として知られている。スケトウダラとイカが漁の中心を占めていた。鱈漁は慶安3年(1650)の奉行所への書上げでは、干鱈役は900枚で、当時沿岸漁業の盛んだった夷町(両津)の412枚を遥かに超えている。鰹漁も盛んで、寛政7年(1795)に当村四十物師八左衛門の持船が90本を漁獲し、小木町で売りさばいていた記録もある。この頃には四十物屋は14軒あった。
現在も漁業集落で、「スルメイカ」の一本釣りと「はえ縄漁業」が盛んである。集落は板囲いの家屋の漁村の光景を呈している。
町並み指数 40
参考文献  
  角川日本地名大事典  角川書店  角川日本地名大事典編纂委員会  1989年
  新潟県の地名   平凡社    (有)平凡社地方資料センター   1986年


稲鯨の町並

稲鯨の町並

稲鯨の町並

稲鯨の町並

稲鯨の町並

稲鯨の町並

稲鯨の町並

稲鯨の町並

稲鯨の町並

稲鯨の町並
古い町並みに戻る