佐渡市姫津は佐渡ヶ島の西部の尖閣湾に面する。 慶長年間(1596〜1615)大久保長安の指図で、石見国の漁師を呼んで達者地内に住まわせ一村を開いた。鑑札を与えて海漁にあたらせ、島中どの浦方でも勝手次第に漁を許したという。 姫津村の高は「天保郷帳」15石余。弘化3年(1846)の案内帳によると、高は15石余で全て畑。家数126・人数806、沖漁船67・イカ漁船31とある。 大久保長安による干鱈役・干スケトウダラ役が免除されていたのは絶大で、国中いずれの場所でも手広く漁業していた。地先漁業も盛んで元禄14年(1701)の書上げでは、アワビ漁師は22人で大半が畑地・家屋敷をもつ長百姓であった。 村の約60%が石見姓で、櫓は当村だけが左櫓であることから、西国との繋がりが伺える。明治以降は樺太・千島・カムチャッカ方面の北洋サケ・マス・カニ工船への出稼者が多く、昭和10年の遠洋漁業従事者は112人に達していた。 明治15年の家数163・人数874とある。 今でも姫津は漁業集落である。昭和40年にほぼ全戸が焼失する大火があり、集落はそれ以後復興したもので、建物は伝統的な様式で建てられているが新しい家屋である。板囲いの建物が細い路地道に密集して建つ典型的な漁師町の様相を見せているが、近海ものの漁業でないためか、漁に必要な道具類が集落で見られなかった。 角川日本地名大事典 角川書店 角川日本地名大事典編纂委員会 1989年 新潟県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1986年 |
姫津の町並 |
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