大月市富浜町鳥沢の町並み 
富浜町鳥沢
地図


富浜町鳥沢の旧上鳥沢宿の町並

 大月町富浜町鳥沢は山梨県西部、桂川左岸河岸段丘上から扇山の南斜面にかけて位置する。中世には小西村と云われ、江戸初期にも小西村と称していたが、のち鳥沢村に改められた。その改称時期は不明であるが、明暦2年(1656)から寛文9年(1669)の間と云われている。
文化初年(1804〜18)の家数304・人数1,485・馬50とある。天保3年(1832)では家数305・人数1,705とある。
村内を甲州街道が通り、合宿の上鳥沢宿(西方)・下鳥沢宿(東方)が置かれていた。月のうち上15日を上鳥沢宿、下15日を下鳥沢宿が勤める合宿であった。
上鳥沢宿と下鳥沢宿の境は大体現在のJR鳥沢駅辺りであって、下鳥沢宿の宿内町並みは東西に4町30間余りで、天保14年(1843)の甲州道中宿村大慨帳では宿内家数144・人数699・本陣1・脇本陣1・旅籠屋11(大3・中4・小4)で、旅籠屋のほかに食物を商う茶店や諸商売屋があった。高札場もあり問屋場1もあった。上鳥沢宿は宿内町並みは東西6町17間で、天保14年(18743)の甲州道中宿村大慨帳では宿内家数151・人数650・本陣1・脇本陣2・旅籠屋13(大5・中3・小5)で、下鳥沢宿同様に旅籠屋の他に食物を商う茶店や諸商売屋があった。高札場や問屋場1もあった。
明治に入ってからも宿場町として発展し、明治24年の桂川沿いの新道(通称川辺通り)(現国道20号線)の開通後も発展を続け、富浜村の中心として村役場・小学校・郵便局などが次々と設置された。明治35年国鉄中央線が開通し、鳥沢駅が設置された。これを契機に鳥沢は宿場町から駅前集落へと発展し、織物市場も開設され一層の賑わいをみせた。
さて、JR鳥沢駅前辺りを境に東側が旧下鳥沢宿、西側が旧上鳥沢宿であるが、町並みに大きな変化はない。只旧甲州街道がそのまま国道20号線になったものだから、南側の町並みは道路に面して軒を接した伝統的な宿場建築の様式だが、北側は少し道路から引いて建てられているのは、道路拡張による影響と思われる。古い伝統的な様式の建物は、平入り中2階建て又は2階建て。屋根はトタン屋根だが、これは板貼り石置きの名残と思われる。
2階屋根に煙出し様の空気抜きが付けられているのは、煙出しでなくて、養蚕のための空気抜きだし、建物の多くは梁を突き出した出桁造りの建物だった。
町並み指数 50
参考文献
   角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和59
   山梨県の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1995年        


富浜町鳥沢の旧上鳥沢宿の町並

富浜町鳥沢の旧上鳥沢宿の町並

富浜町鳥沢の旧上鳥沢宿の町並

富浜町鳥沢の旧上鳥沢宿の町並

富浜町鳥沢の旧上鳥沢宿の町並

富浜町鳥沢の旧上鳥沢宿の町並

富浜町鳥沢の旧上鳥沢宿の町並

富浜町鳥沢の旧上鳥沢宿の町並

富浜町鳥沢の旧下鳥沢宿の町並

富浜町鳥沢の旧下鳥沢宿の町並
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