旧甲州街道の宿場町だった下初狩宿は旧街道が拡張され、国道20号線として機能jしているので、古い町並は国道の道路面よりも大幅に下がってしまい、家の直前の高いところをトラックがビュンビュンと走る、怖い町並になってしまっている。 中世には初狩村であったが、寛文9年(1669)の検地により、上・中・下初狩村に分かれ、その後上初狩村は黒野田村・阿弥陀海道村・白野村の分かれたといわれる。 「甲斐国誌」によると下初狩村の集落はもと笹子川の北岸にあったが寛文12年(1672)の洪水で民家が流失して、以後南岸に移り、北岸の旧地は古宿とよんだ。 江戸時代のはじめは谷村藩領、宝永元年(1704)からは幕府領で明治になる。文化初年(1804頃)の家数151・人数679とある。 天保14年(1843)の「甲州道中宿村大概帳」によると宿内の町並は東西7町、宿内家数156・人数616。上宿と中宿に本陣と脇本陣が置かれ、問屋場は中町に置かれていた。旅籠屋は12軒(大3・中4・小5)であった。人馬継立ては中初狩宿と合同で行い、下初狩宿は毎月16日〜月末の間を勤めた。 宿の両側には家並が続くが、その裏には笹子川が流れていた。旅籠屋の他に食べ物を商う茶店やその他の商人などもいた。 今は旧街道が拡張され、急勾配だった街道の傾斜を緩めたために、軒先まで道路が上がってしまい、古い町並は道路の斜め下になってしまった。伝統的な様式の建物は大型で重厚な建物が多いが、道路より低い所にあり、余り目立たない存在になっている。明治になってから建てられたものが多いようで、明治に入って盛んになった養蚕や機業のためのに建物が大型になったようだ。又、宿場町時代の屋号が揚がった家屋も散見でき、往時の雰囲気を残していた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和59 山梨県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1995年 |
初狩町下初狩の町並 |
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