麻績(おみ)村は長野県中央部、信濃川の支流、犀川の支流麻績川の上流、麻績盆地の中心に位置する。 江戸期は麻績町村とも呼ばれ、はじめは松本藩領、享保10年(1725)から幕府領。村高は「慶長改帳」では麻績と見え1,168石余、寛永19年(1642)の松本領村々高附帳では麻績町と見え1,145石余、「生保書上」では891石余、「元禄郷帳」では麻績町村と見え899石余、「天保郷帳」でも麻績町村1,297石余、「旧高旧領」でも麻績町村1,299石余。家数・人数は正徳4年(1714)168・897、安永2年(1773)188・986、天保15年(1844)258・1,036。 北国西往還(善光寺道)の宿駅が設けられ、安政初年(1854頃)で本陣1軒(臼井家)・問屋2軒(岩淵家・芦沢家)・旅籠29軒があった。 宿駅制度が廃止されて以降、長野市と松本市を繋ぐ幹線道路は犀川沿い(現国道19号線)に移り、麻績宿を含む山越えの道(現国道403号線)は急速に廃れたが、この結果、本陣跡の建物を始めとして多くの建物が残り、比較的古い宿場当時の名残が残っている。 その一方で明治期の養蚕業の盛んだった名残も色濃く残り、白漆喰塗り込めで空気抜きを備えた大型の家屋も多く、在郷町的な光景は見られないが古い町並を立派に形成していた。 角川日本地名大辞典 角川書店角川 日本地名大辞典編纂委員会 1990年 長野県の地名 平凡社 下中邦彦 1979年 |
麻の町並 |
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麻績宿本陣跡 |
麻の町並 |
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麻の民家 |
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麻の民家 |
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