長野市の北東部で、中野市と須坂市の中間に葛飾北斎人気で観光客を集めている小布施町がある。 江戸時代初めは松代藩領であったが、元和5年(1619)福島正則領となり、寛永元年(1624)幕府領、寛文元年(1661)甲府藩領、元禄14年(1701)から幕府領になり小布施陣屋が設置される。文政4年(1821)からの一時期と弘化元年(1844)以降は松代藩領預かり地となり明治を向かえる。 慶長年間(1596〜1615)谷筋道を六川村から小布施へと付け替えられたと言われ、寛永2年(1625)に六川村の亦右衛門が松川扇状地の開発を行い、六川村と同じように小布施に市を立てた。この市は3・8日の六斎市で、その後、年4回米麦銭相場書を領主に提出する程の市に成長して行った。 宝暦4年(1754)の六斎市の絵図によると、上町・中町の通り(谷街道)と横町の通り(谷脇街道)が丁字形に交わるところに高札場がある。市には出店と常見世があり、茶・実綿・穀物・塩・酒・薪などの生活用品を販売していた。 宝暦10年(1760)の村指出写によると家数313・人数1,409とある。江戸後期に千曲川通船が開かれると、いっそう小布施市場が発達し、多くの豪商や豪農層が出現した。 こうした経済的な基盤の上に、高井宣風や高津菁斎などの文化人が輩出した。高井鴻山は高井地方を代表する知識人で、葛飾北斎を小布施へ招いた。また小林一茶も小布施地方で長期に滞在し、色んな作品を残している。 今小布施の町は観光客で溢れている。北斎館や高井鴻山記念館を目指した人たちが町中を散策している。町並みも市場町時代の名残で豪商だったような建物が散見できるものの纏まった町並みになっていない。 そんな中でも、北斎館や高井鴻山記念館や造り酒屋さんの大壁造りの家屋ばかりが目に付いた町並みだった。 長野県の歴史散歩 山川出版社 長野県高等学校歴史研究会 1996年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1990年 長野県の地名 平凡社 下中邦彦 1979年 |
小布施の町並み |
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