韮崎市円野町上円井は山梨県北西部、甲府盆地の北西部、釜無川右岸の氾濫原からその西方の段丘上にかけて位置する。 甲州街道が釜無川の対岸の穴山村から渡河して、北に向かうところで駿河からの西郡路(駿信路)と合流する位置である。 上円井(かみつぶらい)村の江戸期は、初め幕府領、のち甲府藩領、享保9年(1724)から幕府領のまま幕末を迎える。村高は「慶長古高帳」383石余、「宝暦村高帳」673石余、「国志」678石余、「天保郷帳」680石余、「旧高旧領」687石余。 文化初年(1804頃)の家数108・人数337、馬42・牛21とある。家数に比して馬の数が多いのは、街道筋の駄賃稼ぎが多かったのだろう。 上円井村は甲州街道沿いの農家集落のようで、旧甲州街道に沿って家屋が並んでいるが、宿場や街道筋の町並の様相は残っておらない。でも、ナマコ壁を周囲に張り巡らした豪農の家屋なども見られた。また、この集落は妻面を街道に見せた家屋が多いのも特徴の一つと思う。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和59 山梨県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1995年 |
円野町上円井の町並 |
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円野町上円井の町並 |
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