稲島集落は角田山東麓丘陵地に位置し、旧北国街道の宿駅であったようだが、資料は残っておらない。新潟から弥彦間の中間として賑わっていたと云う。 元和4年(1618)から長岡藩領。安政5年(1858)の家数77とある。幕末まで長岡藩領。 この稲島も福井同様に旧北国街道が通る集落だが、資料が残っておらない。でも、こちらの方が旧宿場の雰囲気が家並みや鉤型の道筋に残っている。資料に馬繋場が残っているとあったが、探しても判らなかった。 町並みは平屋建て切妻造りで平入りだが、妻壁を真壁造りとした意匠が際立って、かって宿場だったことをアピールしているようだ。中には信州のスズメオドシの様なものを掲げた屋根の家もあった。 この道筋を昔の旅人が通ったのだなあと思える好感のもてる町並みだった。 角川日本地名大事典 角川書店 角川日本地名大事典編纂委員会 1989年 新潟県の地名 平凡社 下中邦彦 1986年 |
西蒲区稲島の町並 |
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