南部町万沢は山梨県最南端富士川中流域右岸台地上に位置する。 江戸はじめは幕府領、のち甲府藩領、享保9年(1724)から幕府領(市川代官所など)。宝永2年(1705)の村明細帳によると駿州往還の宿場で、家数199・人数631・馬64とあり、村内に商人10・酒造3・紺屋2がいた。文化初年(1804〜18)の家数286・人数1,225とある。 駿河との国境に位置するため、古くから口留番所及び伝馬駅があり、街村を形成していた。 明治に入っても宿場の様子が変らなかった。明治25年では全戸数農業を営み、余業として養蚕30・商80・工40であった。 今旧駿州往還の町並みを歩くと、江戸末期から明治にかけて建てられた家屋が一番古いようで、殆どは明治に入ってから建てられたと思われる建物だ。町並みを構成している建物も大きな商家が無かったようで、豪邸と云われる様な建物は無く、比較的質素な建物が多い。 この旧往還は自動車の通行も少なく、静寂そのもので、廃れゆく旧宿場とのイメージを受けたが、料理旅館も健在であったので、そうでもないのかも知れない。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和59 山梨県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1995年 |
万沢の町並 |
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