長岡市街から南に4km程、旧三国街道沿いに形成された集落。三国街道は中山道高崎宿から北陸道寺泊まで通じる街道で、今はほぼ国道17号線である。 一王子権現の修験者達の無料宿泊施設があり、接待屋と呼んでいたものが攝田屋になったのだろうと云われている。 江戸時代を通じて長岡藩領。家数は元和年間(1615〜24)52、安政5年(1858)48、文久3年(1863)68。 この地は古くから酒造が盛んで、中松屋・若松屋・信州屋・田巻屋などが酒造を行っていた。 攝田屋を歩くと今でも現役の造り酒屋が操業していた。その前に古めかしい土蔵を備え、サフラン酒と看板を揚げた大きな屋敷がある。土蔵には極彩色の鏝絵が施されている。今は本拠を小千谷市に移されている「長者盛」の酒造メーカー新潟銘醸株式会社の創業時の建物や酒蔵・母屋などである。 その他、この攝田屋には味噌・醤油醸造元も芳しい香りを放って操業されていた。 だが、古い町並みは見いだせず、旧三国街道沿いに伝統的な様式の家屋が点在する程度だったが、攝田屋から北に少し進む宮田に辛うじて妻入りで雁木を備えた町並みを見つけた。 角川日本地名大事典 角川書店 角川日本地名大事典編纂委員会 1989年 新潟県の地名 平凡社 下中邦彦 1986年 |
攝田屋4丁目の町並み |
攝田屋4丁目の町並み |
攝田屋4丁目のサフラン酒醸造元の庭 |
攝田屋4丁目のサフラン酒醸造元の屋敷 |
攝田屋4丁目のサフラン酒醸造元の土蔵 |
攝田屋4丁目の町並み |
攝田屋4丁目の町並み |
宮内2丁目の町並 |