身延町身延は山梨県西部、富士川右岸身延山南麓に位置する。身延山久遠寺の門前町として発展してきた。 江戸期は身延山一帯及び七面山が日蓮宗身延山久遠寺領で、「慶長古高帳」「宝暦村高帳」「天保郷帳」「旧高旧領」などには当村の名は見えない。幕末に至っても高28石余りに過ぎない。 慶長9年(1604)に身延山掟が久遠寺山内に出されるが、同年門前町に対しても身延山久遠寺から町中掟が出されている。久遠寺の許可なく屋敷地の売買を禁じるなど、門前町を統括する者「宿太郎」の存在が知られる。 貞享3年(1686)の門前町の家数は上町30・仲町42・下町44・狐町34・上塩沢13・下塩沢28・裏町51とある。文化初年(1804〜18)の門前家数312・人数1,217とある。 身延山久遠寺は近世初頭までは甲斐・駿河中心の地方本山であったが、近世中期には多くの宿坊をもつ日蓮宗総本山としての格式が備わり、これを中心に門前町が発展した。駿州往還は公用人馬の通行は少なかったが、身延山関係者や参詣人で賑わっていた。 門前町の中心は総門から三門に至る約1.5kmの身延川左岸の段丘上に立地する。現在も三門前の上町・仲町には旅館・飲食店・土産物屋が軒を並べ、参詣者も多く門前町の賑わいの様子を伝えている。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和59 山梨県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1995年 |
身延の町並 |
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