松本市は長野県の中央部に位置している。 江戸期の松本城下は女音羽川が町の中心部を南北に割って流れ、大手橋(現千歳橋)から北が松本城の城地で、その中に松本城と武家屋敷がある。武家屋敷は城内三の丸とその周辺、更にその北方にのびていた。 町人町は女音羽川の南岸に発達し、善光寺街道に沿って本町・中町そして女鳥羽川を渡って東町の3町と、その枝町から成っている。 天正10年(1582)小笠原貞慶が深志城主となり、松本城と改めたが、直ぐに豊臣秀吉の家臣石川数正が入封し、近世城郭としての整備がはじまった。天守は石川康長が文禄3年(1594)頃から建築に着手し、慶長2年(1597)頃までには完成したと思われる。 天守・二の丸の南に上級武士の屋敷を配置し堀を巡らせ、その東・北東にも中・下級武士の屋敷を配置した。 享保10年(1725)の記録では家中屋敷数は990、うち城内家中屋敷は98、木戸外の屋敷は660。これに町家の数と合わせると2,153が城下町の総戸数であった。 今回訪ねたのは、旧城地と云われる地域の南部で、現町名の丸の内・大手2・3・4丁目である。古い町並とは言えないが、伝統的は様式の家屋が所々に見られた。そんな中に明治21年の大火後に建てられた土蔵造りの商家建物が少しは点在していたが、元々在ったであろう武家屋敷らしきものは見なかったように思う。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1990年 長野県の地名 平凡社 下中邦彦 1979年 長野県の歴史散歩 山川出版社 長野県高等学校歴史研究会 1996年 |
大手4丁目の町並 |
大手3丁目の町並 |
丸の内の町並 |
丸の内の町並 |
大手2丁目の町並 |
大手2丁目の町並 |
大手2丁目の町並 |
大手2丁目の町並 |