会田は古くから交通の要衝であり、中世この地を領した会田氏の城下町が、江戸期には善光寺平と松本を繋ぐ北国西脇往還(善光寺道)の宿場町となり賑わっていた。 江戸時代はじめは松本藩領、享保10年(1725)からは幕府領(寛保3年(1743)以降は松本藩預かり地)。 宿場は慶長19年(1614)松本藩の小笠原秀政の時に正式に設けられたが、それ以前の中世から宿場として運営されていた。会田宿は東西の中町通りが中心で、その西端から北に折れて急坂の本町通りと続き立峠へと向い、峠の乱橋を過ぎて青柳宿に至る。東端からは南に立町が続き、刈谷原宿を経て松本方面へと向かう。又東へは新町から東に延びる小県道(松本街道)が分岐している。 文久3年(1863)の宿場明細帳によると、本陣・脇本陣もあり、家数110、旅籠12、木賃宿4、問屋2、茶屋5等の他、多種多様の商人や職人がいた。町の屋敷割は5間間口が多く、現在も立町・新町・本町に町割りが残っている。 今は本町・新町辺りが村の中心で、中2階建て切妻造り、白漆喰塗込めの商家建物や土蔵が街道筋に残っている。中にはナマコ壁を備えた旅籠屋の建物も多数残っている。 しばしば火災が発生し、天保年間〜安政年間に7度も経験している。防火対策でこのような漆喰塗込めの建物が多く残っているのかも知れない。 この宿場町を訪ねたとき、中町筋から北に向かう本町通りを気付かずに歩かなかったことは残念である。旧本陣・問屋の堀内家の建物や松沢家の長屋門を見なかったのは悔やまれる町並み探訪だった。 長野県の歴史散歩 山川出版社 長野県高等学校歴史研究会 1996年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1990年 長野県の地名 平凡社 下中邦彦 1979年 |
会田の町並み |
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