小室村北川は日蓮宗妙法寺門前集落として発展した。徳栄山妙法寺は武田信玄・徳川家康・織田信長など、当時の支配者の手厚い保護のもとで繁栄した古刹である。 小室村の江戸時代ははじめ幕府領、のち甲府藩領、享保9年(1724)幕府領、延享4年(1747)一橋家領、寛政6年(1794)幕府領、天保3年(1832)から田安家領で明治を向えた。 延宝9年(1681)の家数121・人数343。享保9年(1724)の家数132・人数512。寛政3年(1791)の家数153・人数696。文化初年(1804頃)の家数155・人数619である。 正徳2年(1712)まで妙法寺総門の所に口留番所があり、小室村と高下村の両村で相番に勤めていたことから、諸事半役引きの村とされていた。 妙法寺は朱印地7石余り・黒印地780坪・飛境内地13ヶ所を有して、寺領百姓は小室村とは別に、独自に寺の支配を受け、村方三役も別に置かれるなど一村的独立をしていた。 訪ねた妙法寺門前参道には、両側に平入りの切り妻造りやかぶと造りの茅葺き屋根にトタンが被った民家が連なっている。どの家も門前町を支える旅籠や茶屋や土産物屋だったのだろうが、今では全ての家が営業を止められ,仕舞屋になっていた。参道入口にある山門の傍の旅館は、昭和30年代に建てられた様な旅館であるが、既に閉じられていて哀れを誘う。 かっては多くの参詣客で賑わったであろうこの参道も、今では地元の住民以外は通らない道になっていた。 山梨県の歴史散歩 山川出版社 山梨県高等学校教育研究会 1998年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和59 山梨県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1995年 別冊太陽 日本の町並V 平凡社 湯原公浩 2004年 |