甲州市勝沼の町並み 
勝沼町勝沼
地図


勝沼町勝沼の町並
 勝沼はぶどうの産地として有名である。
江戸時代に甲州街道は五街道の一つとして取立てられ、開通したのは元和4年(1618)である。そのときに勝沼宿として成立し、それ以後甲斐国の玄関口として繁栄し、交通・経済・文化の中心地になっていた。
江戸はじめは幕府領、後に甲府領、享保9年(1724)からは幕府領になり明治を向えている。天保14年(1843)の甲州道中宿村大概帳によると、宿内町並は東西12町、宿内家数192・宿内人数786。本陣は上町に1軒、脇本陣は2軒(上町と本町)、旅籠は23軒(大5・中7・小11)であり、ほかに茶屋・酒屋・塩問屋・雑貨屋など多数軒を並べていた。毎月2・7の日に市が立ち、米・生糸・果物などが取引されていた。町並は街道の両側に家並が続くが、その裏側は田畑と林で、耕地は田より畑が多かった。
豊な土地で、米麦・野菜のほかに養蚕業も発達し、ブドウ・ナシ・カキ・クリ・木綿・煙草なども換金作物として栽培されていた。特にブドウは甲州ブドウとして名高く、特産品として多く栽培されていた。
明治に入り、宿駅制は廃しされたが、宿駅として賑わっていた。明治36年国鉄中央線が甲府まで開通したが、そのとき勝沼はこの路線から完全に取り残され、以後それまでの賑わいを失い、勝沼宿も衰退していった。
それにより人々は純農家への転換を迫られたが、特産のぶどう生産が発展し、今のブドウ産業へと繋がっている。
町並は旧甲州街道筋が拡張され主要県道になったためか、道の北側には余り古い建物が残っておらないが、北側には僅かばかりだが古い伝統的な建物が連続して残る所や3階建ての土蔵も見られた。でも街道に沿った家屋の裏側には今でもブドウ畑が広がり、町中にブドウ狩の看板が立ち並ぶ町並であった。
町並み指数 40
参考文献
   山梨県の歴史散歩  山川出版社  山梨県高等学校教育研究会  1998年
   角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和59
   山梨県の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1995年          


勝沼町勝沼の町並

勝沼町勝沼の町並

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勝沼町勝沼の町並

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