茅葺きの里として知られ出した荻ノ島集落を訪ねました。山村集落の原風景そのものです。 柏崎市街から直線距離にして約20km南東、鯖石川の上流左岸の山間豪雪地にある。 江戸期のはじめは高田藩領、天和元年(1681)幕府領、貞享2年(1685)高田藩領、寛保元年(1741)白河藩領、文政6年(1823)からは桑名藩領。天保郷帳では206石余。弘化4年(1847)の家数34・人数277。文久3年(1863)の村明細帳では家数32・人数327。明治35年の家数92・人数481。昭和30年世帯数99・人口472。 集落は珍しい形態の「環状茅葺き集落」で、40棟位建つ約半数が茅葺きで、その茅葺き屋根の家々が田圃を囲むように円形に建っているのです。外敵から田圃を守るためと云われていますが、管理面でもこれが一番合理的だったのでしょう。 山村集落の原風景を残す、荻ノ島集落の茅葺き民家の形態は中門造りと云われる造方で、主屋の棟とは直角に突出するL字型の茅葺き民家である。主に前面に突出する前中門と背面に突出する後中門がある。突出部は厩・作業場・便所・出入口・寝室・流しといろいろである。そして茅葺き屋根は主屋・中門共に寄棟が多い。 昭和30年代には100戸程あった家も、過疎に悩まされ人口減少が止まらないと、今、官民共同で村おこしに力を入れられている。集落内にあった2棟の茅葺き屋根の宿泊施設もその一環である。 この珍しい環状茅葺き集落は地元の方々だけでの保存は無理だから、早く地元民と行政とが共同歩調を取って、京都府の見山 北集落の様に保存・保護すべきだと思う。 因みに平成17年の国勢調査では世帯数34・人口85とあり如何に過疎地であるか判ります。 角川日本地名大事典 角川書店 角川日本地名大事典編纂委員会 1989年 新潟県の地名 平凡社 下中邦彦 1986年 日本の町並みV(別冊太陽) 平凡社 湯原公浩 2004年 |
高柳町荻ノ島の町並 |
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