甲斐市志田は甲府盆地北西部、茅ヶ岳山麓の南端、釜無川左岸の平坦地に位置する。 この辺りは水害と干ばつに苦しんだ地域である。志田集落は古くは字中島附近にあったが、水害のため現在地に移ったと云われている。 慶長古高帳では幕府領、享保9年(1724)から幕府領甲府代官支配、延享3年(1746)一橋家領となるが、寛政6年(1794)再び幕府領で初め市川代官、天保6年(1835)甲府代官支配となり明治を向かえる。 この地は釜無川の水害被害を被る地域であるが、殆ど湧水のない水利不便な土地で有ったため、住民の生活は古くから今日まで水を求める努力の連続であった。そのため多くの水路と溜池が築造されている。 集落内を甲州街道が通り一里塚が2ヶ所あった。文化(1804〜18)初年の家数46・人数172・馬12とあり、韮崎宿の大助郷を勤めていた。 古い町並みは旧甲州街道沿いに展開していると云えども、旧庄屋の大屋敷にナマコ壁の大豪邸が幾棟もあり、それが町並みの殆どを占めている。この大豪邸は多分明治に入ってから建てられたものであろうが、あらゆる建て方の建物が建てられていたが、ナマコ壁が印象に残る建物だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和59 山梨県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1995年 |
志田の町並 |
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