出雲崎は新潟県中部の海岸沿いに位置し佐渡島と相対している。江戸時代には徳川幕府の直轄地(天領)となり、佐渡金銀の陸揚港として、北前船の発着の港として栄えていた。また北国街道の宿場町として、この地方一帯の政治・経済・交通・文化の中心となっていた。 港を中心とする活気は、博多や兵庫と同じ賑わいで繁栄していた。元和元年(1615)の大坂夏の陣後の翌年、徳川家康は佐渡島と共にこの出雲崎一帯を幕府の直轄地とした。元和2年(1616)に代官所の陣屋が置かれ、出雲崎は佐渡島に対する越後側の玄関口となった。 また、佐渡(小木港)から廻漕される金銀の陸揚港、そして金銀を江戸へ移送する起点とともに、北国街道の宿場町としておおいに賑わった。そして日本海廻船や江戸中期以降は北前船の寄港も加わり繁栄をきわめた。 出雲崎の宿場町は、旧北陸道に沿って約4kmの古い町並みがあり、天領の時代に代官所が置かれたとき、出雲崎と尼瀬に分けられたが、今も当時の町割りはそのまま残る。また出雲崎は北前船の寄港地で多くの廻船問屋があった。その時のなごりでこの町には土蔵が多いのである。 出雲崎の本町である住吉町、石井町、羽黒町は慶長年間(1596〜1614)に、尼瀬の岩船町、稲荷町、伊勢町諏訪本町も寛永2年(1625)には完成している。 出雲崎の町並みは約3.6kmの長さに妻入りの町並みが続く。宿場町の名残で枡型が宿の両端に備わっていて、拡張されることなく今に残っていた。町並みを構成している民家は、大多数が妻入りで間口3間前後と狭いが,奥行きは長く中には70mもある家がある。海の傍ということもあって漆喰塗り込めの家屋はなく、殆どが板張りの壁になっていたのも、景観に大きく寄与していた。 街道の両側に町並が展開するのは勿論であるが、片側は海、片側は山に遮られて一筋町を形成している。町並は切り妻造りの妻入り総二階でまとまっていて、何となく統一感があった。木折町の山に上がって羽黒町を見ると、見事に妻入りの町並の展望があった。何時までも残したい町並である。 新潟県の歴史散歩 山川出版社 新潟県の歴史散歩編纂委員会 1996年 歴史の町並みを歩く 保育社 高士宗明 平成6年 たいせつにしたい妻入りの街並み 妻入り街並み景観推進協議会パンフレット 出雲崎町役場建設課 角川日本地名大事典 角川書店 角川日本地名大事典編纂委員会 1989年 |
尼瀬2区の町並み |
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