藤澤は伊那街道(杖突道・金沢道)の宿場町である。 高遠を訪ねて次に山梨県北杜市台ヶ原宿を訪ねる時に、通りかかった国道152号線沿いの宿場町である。 江戸時代を通じて高遠藩領である。大字藤澤の中の一つの集落である御堂垣外が宿場町であった。御堂垣外宿の設定年代は不明であるが、宿方由緒書などから、天和年間(1681〜84)の設定と考えられる。 正式な名称は「伊那街道御堂垣外宿」といい、御堂垣外宿から甲州街道金沢宿に向かう道を金沢道、御堂垣外宿から杖突峠を経て茅野・諏訪に向う道を杖突道といった。 御堂垣外宿では享保10年(1725)お茶屋を廃して本陣を新設した。脇本陣はなく、問屋が代りを勤めた。文化2年(1862)の高遠領宿駅要員調査表によると、家数58・人数242・宿役人6とある。天保7年(1836)の家数84・人数311。弘化5年(1848)家数86で内百姓72・問屋8・無高6であった。 またこの地では、藩の奨励により石工の他国出稼ぎが多く行われている。高遠石工として各地で活躍し、後には彫刻にまで進み、静岡県や埼玉県から関東一円で優れた作品を残している。 今でも本陣跡には御門が残っていた。説明によると建物内に上段の間も、江戸中期の枯山水の坪庭も残っているそうだ。この街道を参勤交代に利用した大名は高遠藩・飯田藩や旗本達で御堂垣外宿から金沢峠を越えて甲州街道の金沢宿に向っている。街道に沿って宿場町当時の建物も残り、思わぬ拾い物をした感じの町並であった。 長野県の歴史散歩 山川出版社 長野県高等学校歴史研究会 1996年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 長野県の地名 平凡社 下中邦彦 1979年 |
高遠町藤澤荒町の町並 |
高遠町藤澤台殿の町並 |
高遠町藤澤台殿の町並 |
高遠町藤澤御堂垣外の町並 |
高遠町藤澤御堂垣外の町並 |
高遠町藤澤御堂垣外の本陣門 |
高遠町藤澤御堂垣外の町並 |
高遠町藤澤御堂垣外の町並 |
高遠町藤澤御堂垣外の町並 |