飯田市南信濃和田は長野県南部、天竜川の支流遠山川の中流域に位置する。飯田市街から南東に約30km、秋葉街道の宿場町として発展したところ。 中世には和田城が遠山景広により構えられ、江戸初期までこの地を支配したが、元和3年(1617)遠山氏改易により幕府領となり明治までそのまま続く。 赤石山脈から流出した遠山川が村の中央部を南西に流れ、やがて天竜川に注ぐ。秋葉街道の地蔵峠から青崩峠へのほぼ直線の発達した構造谷は、地質学上中央構造線と呼ばれ、遠山川が深く急峻な渓谷を形成している。 村の中央部の和田地区の僅かな平坦地に人家が密集している。赤石・伊那両山脈によって厳しく他の地域から隔離されているため、秘境といわれてきた。村内をほぼ南北に秋葉街道が通り、近世は遠州国の秋葉山参詣の通行で賑わい、宿場町として発展していた。また、遠山地方産の白木・槫木や東海地方の塩・魚・茶などの移送の道でもあった。現在では北の地蔵峠も南の青崩峠も崩壊が激しく峠を経ての物資輸送は途絶えている。 今回訪ねた古い町並みは遠山川の左岸、旧秋葉街道沿いの町並みである。宿場町として賑わっていたと同時に在郷町としても機能していたのであろう町の様相である。町並みを見た第一印象は、厳しい自然環境で隔離されたような地域にこれだけの町並みが良くできたなあと思う。商店街には旅館や金融機関もあり、軒を接して連なる家並みは賑わっていた当時の面影を今に残した町並みであった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1990 長野県の地名 平凡社 下中邦彦 1979年 |
南信濃和田の町並 |
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