飯田市八幡町の町並 
八幡町
地図


八幡町の町並
 飯田市は長野県南部に位置し、伊那谷の中央部にあり、市街地が伊那盆地の中央を占める。そして八幡町は天竜川中流域右岸、市街地の南東約3kmの所で、鳩ヶ嶺八幡宮の門前町として発展したところ。江戸時代には島田村といったが、八幡宮前の町場が八幡町と呼ばれていた。
江戸時代初めは飯田藩領、慶長18年(1613)幕府領、元和3年(1617)からは再び飯田藩領になり明治を向かえる。
飯田には北の宿場を通ってきた伊那街道(現県道15号線、飯島飯田線)。飯田を経て駒場・浪合・平谷・根羽への伊那街道(上街道・現国道153号線)。八幡・川路・山田河内・早稲田・新野と続く遠州街道(下街道・新野街道・現国道151号線)が通っていた。そして遠州街道(下街道)の八幡からは東に進み天竜川を越えて小川路峠から上村に向かう秋葉街道が分岐していた。
島田村の八幡町は遠州街道と秋葉街道の分岐点で、人馬の往来が多く、鳩ヶ嶺八幡宮の門前町、在郷町としても賑わっていた。また、城下町並の商売が許されていたので「御城下町衰微之基ニ而、必至と困窮可仕嘆ヶ敷奉在候」と飯田城下商人を嘆かせるほどの繁栄を見せていた。
江戸時代中期以降、八幡町は近郷の和紙生産地を背景として、元結・水引などの紙取引が盛んであった。
古い町並みは八幡宮の辺りの旧遠州街道(下街道)や旧秋葉街道沿いに展開している。平入り切り妻造りで、中2階・2階建ての伝統的な様式の家屋が連なる。土蔵の壁面全てをナマコ壁にした家。本卯建をあげた家、木製の古めかしい看板をあげた商家、千本格子を残した家などが旧街道筋に残っていて、極限られた小さい地域だが、濃厚な古い町並みを形成していた。
町並み指数 40 
参考文献
   角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会 1990
   長野県の地名  平凡社  下中邦彦  1979年


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