北杜市須玉町の町並 
須玉町若神子下
地図


須玉町若神子下の町並

 北杜市須玉町若神子(わかみこ)は山梨県の北西部、釜無川の支流須玉川・西川の河岸段丘上に位置する。
若神子村の江戸期初めは幕府領のち甲府藩領、宝暦12年(1762)清水家領、寛政7年(1795)からは幕府領で明治を迎える。村高は「慶長古高帳」1,111石余、延亨元年(1744)村明細帳では1,120石余、「宝暦村高帳」1,287石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに1,308石余。
延亨元年(1744)の村明細帳によると家数164・人数694、馬80。文化初年(1804頃)の家数148・人数546、馬81とある。
甲府と信州佐久郡を結ぶ佐久往還が村内を通り、伝馬宿として馬2疋・人足2人を常備していた。富士川水運によってもたらされた信州あての物資は、鰍沢河岸で陸揚げして、馬背または小舟で韮崎に送られ、ここから佐久方面のものは佐久往還を通り輸送された。要衝の若神子は伝馬駅として機能していた。
当地域は甲斐国で最大の米産地であり養蚕も行われていたが、農業の他に佐久往還の駄賃稼ぎも行われていた。
今、旧佐久往還を歩くと、切妻造り、入母屋造りの伝統的な様式の家屋が連なり、又点在もしている。
小規模な伝馬宿の機能を持つ農業集落ですが、往還沿いの家屋はそれなりに街道筋の家屋の様子を醸し出している。中にはまなこ壁の長屋門・土蔵をそなえた豪邸もみられる集落であった。
町並み指数 30
参考文献
   角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和59
   山梨県の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1995年          


須玉町若神子下の町並

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