阿智村駒場は長野県南部、天竜川の支流阿智川左岸に位置し、中央自動車道の南側を国道153号線(三州街道・伊那街道)が通る。そしてその南側を旧伊那街道が走りその両側に町並みが展開し、さらに南側を阿智川が流れる。伊那街道沿いの宿場町である。 江戸はじめは旗本宮崎家領、寛文9年(1669)一部が幕府領となり、元禄元年(1688)全て幕府領となった。天保14年(1843)飯田藩領、弘化2年(1845)幕府領となり、弘化3年(1846)陸奥白河藩領となり明治に至る。 古代東山道の「阿智駅」の所在地と推定され、また、木戸脇に合地関があったことから、古代に開かれた村を思われる。中世では上洛を目指す武田信玄が、三河の陣中で病み、この地で没している。 江戸期になり、三州(伊那)街道の宿場町として栄え、江戸中期頃から中馬による商品・物資の運搬や善光寺詣での往来などで賑わいを見せた。中馬宿としての馬数は明和年間(1765〜72)に12匹、文化年間(1804〜18)には62匹にもなっていた。 駒場村の家数・人数は天保元年(1830)225・905。明治2年252・974とある。 古い町並みは阿智川に沿った旧伊那街道筋で展開している。切り妻造り平入り、2階建て・中2階建てで、比較的間口の広い家屋が多い。千本格子を残した伝統的な様式の家屋が連続している光景も見られ、明治期の旧郵便局の建物も町並みに彩りを添えていた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1990年 長野県の地名 平凡社 下中邦彦 1979年 |
駒場の町並 |
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