かぶと造りの家屋が多く残る山梨県芦川町鶯宿は、富士山の北麓の地で、芦川の渓谷の中に立地している。 この地は富士山の溶岩地帯で、耕地がすくなく土地も痩せている。そのため昔から農民は冨士山麓の豊富な林産資源を利用して、山稼ぎ・炭・薪・材木などの商売、あるいは馬による駄賃稼ぎをしていた。 そのため武田氏からは諸商売の免許の特権を与えられ、次いで徳川氏からもその特権が認められた。鶯宿村ではこの特権の朱印状に代る代官発行の鑑札を126枚保有していたという。 江戸時代はじめは幕府領、のち甲府領・幕府領を経て、江戸中期からは田安家領となって明治を向える。 文化初年(1804頃)の家数129・人数460。明治24年の家数84・人数437で、民業は全戸が農業を行い余業として、養蚕・炭焼きなどが行われていた。 芦川村の90%は山林で、耕地は10パーセントにすぎず、桑園を経営して養蚕を行い、コンニャクの生産や炭焼きでなどで生計を立てていた。第2次大戦後は養蚕・炭焼きからコンニャク栽培が中心となり、耕地の40パーセントがコンニャク畑に当てられた。 今、鶯宿集落内を歩くと、トタン覆いがされているが、かぶと造りの茅葺き屋根の民家が多く残り、土蔵も併せ持つ家が多く、裕福だった往時の生活風情がよく残っている。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和59 山梨県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1995年 別冊太陽 日本の町並V 平凡社 湯原公浩 2004年 |