近世中山道の芦田宿は現在も立科町の町政の中心地となっている。 芦田宿は芦田城芦田氏の浪人で芦田村の岩間忠助と茂田井村の土屋右京衛門が、北原・北林の地を開いて、それまで芦田村の中心だった古町から人家を移して芦田宿が成立し、村の中心も移ってきた。江戸時代を通じて小諸藩領であった。 宿の開発に当たった土屋氏が本陣に、問屋名主には岩間氏がなったが、後年には小さな宿場だったので、本陣で問屋名主を兼帯することも多かった。 宿村の様子は、天保14年(1843)の中山道宿村大慨帳によると、宿の長さは東西6町32間、家数80(本陣1・脇本陣2・問屋2・旅籠6)・人数326で笠取峠を越えた長窪宿に比して規模は小さく、峠前としての機能は少なかったようだ。文政年間(1818〜30)の「宿割図」に商家数11軒とあり、地域の商業的な機能も併せ持っていたようだ。 今、古い町並みは国道142号線の南側の旧中山道沿いに展開している。出桁造りの伝統的な様式の家屋が多くみられるものと期待して訪ねたが、出桁造りは少なく明治以降に建て替えられたのだろう。それでも伝統的な様式の建物が点在したり、連なったりしている光景は、旧宿場町当時の面影を色濃く残している。道幅が比較的広いのも不思議に感じる。現在の自動車社会でも通用する車の離合を考えなくてよい広さが保たれているのはどうしてだろう。 町並みのあちこちに駐車場となった空き地がある。このにも建物があったのだろうと思うと、寂れゆく宿場町の悲哀を感じる町並みであった。 只、文献によると本陣の建物や門が残っているとあるが、訪ねた時には気付かなかったのか全く漏れ落ちてしまった。残念な町並み探訪だったこの解説文を書いていて思った。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1990年 長野県の地名 平凡社 下中邦彦 1979年 長野県の歴史散歩 山川出版社 長野県高等学校歴史研究会 1996年 中山道歴史散歩 有峰書店新社 斎藤利夫 1997年 |
芦田の町並み |
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