朝日村猿沢は村上市の北約10km程の旧出羽街道沿いの宿駅だった。 江戸時代はじめは村上藩領だったが、寛永19年(1642)幕府領となってからは、村上藩領・幕府領を繰り返し、享保2年(1717)からは幕府領となり明治を向かえる。 文禄頃(1592〜96)の瀬波郡絵図には「猿沢村 下」とみえ家12軒が描かれている。 城下町村上以北では一番大村で、文久2年(1862)の家数120。明治3年の家数125・人数655とある。 旧出羽街道は集落内ではそのまま残っている。国道7号線がバイパスとなって集落の東側を通ったので集落はチルド保存された格好だ。広い街道筋の両側に妻入り2階建ての民家が並ぶ。切妻造りであったり、入母屋造りであったりするが、妻入りに統一されているようで、町並みの景観に寄与している。2階部分の妻側の真壁構造の柱が際立ち、更に町並みを引き立てている。 町並みの北半分には街道の傍を小さな川が流れ、その奥に民家が建つ光景は広い街道筋を、尚更広く感じさせるゆったり感のある町並みだ。 出羽街道の宿駅と云っても、村上と庄内地方を結ぶ幹線道ですが、参勤交代も通らず、物資の往来はそれほど多くなく、出羽三山詣での旅人が中心だった街道筋です。奥の細道で松尾芭蕉が通ったことで知られています。 角川日本地名大事典 角川書店 角川日本地名大事典編纂委員会 1989年 新潟県の地名 平凡社 下中邦彦 1986年 日本の町並みV(別冊太陽) 平凡社 湯原公浩 2004年 |
猿沢の町並 |
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