田野は江戸期には雑賀崎浦に含まれていて、一村として独立したのは明治11になってからである。しかし江戸期にも雑賀崎浦の枝郷として記載され、天保10年(1839)完成の「紀伊続風土記」では、田野浦は家数147・人数614・船数40余艘とあり、漁民のみが暮らしていたようだ。 明治24年には東西1町、南北1町、戸数113・人数1,226、小船68艘とある。 そして今、集落東端や集落の上部の県道新和歌浦線は奥和歌浦とよばれ、観光ホテルなどが建ち並ぶ。しかし昔からの漁村集落はそのままで、雑賀崎集落と同じように山の急斜面にへばり付くように集落の町並がある。 集落内の細い路地道の上には両側から軒が迫り折り重なっている。空が見えない集落のようで、海に沿った漁村集落にも拘らず、集落内からは全く海が見えない。 路地に沿って格子戸の家が所々にある。漁師町に格子戸があると場違いとの印象が強いように思うが、不思議に漁師町に調和していた。 集落内で椅子を持ち出して、世間話をされていた老婦人に話しかけると、昔は漁業に全ての家が拘わっていたが、今では若い者は少ないし、漁をしているのは年寄りばかり。船を持っているから仕方なく漁をしている等と話されていた。 和歌山県の歴史散歩 山川出版社 和歌山県高等学校社会科研究協会 1995 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和60年 和歌山県の地名 平凡社 下中邦彦 1986年 |
田野の町並み |
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