雑賀崎は和歌浦湾の西方に突き出た岬の先端部に位置する。 早くから漁村集落を形成していて、慶長16年(1611)加子米突帳では雑賀浦の名が記され、水主役の負担をしていたようだ。 文化年間(1804〜17)に編纂された紀伊続風土記によると「雑賀山の西の端にして海面に突出たる岬なれは雑賀崎の名あり、一村漁を業とするを以って船数は二百余艘ありて‥‥」と記す。 又同風土記には、西方荒磯は良好な釣り場として江戸時代から賑わっていたと記され、雑賀崎浦は家数357軒・人数1492人。田野浦は家数147軒・人数614人。 幕末になり異国船渡来が伝えられると、雑賀浦西方鷹巣の上に遠見番所が、北方山上に狼煙場が設けられた。 今、集落内を歩くと、急斜面で生活する漁村集落そのもので、山の斜面に家がへばりつくように、家の上に家が建っているようで、集落内の道路は全て1m未満の路地でもって構成されている。その中でも山の上に通じる一番のメインロードは上部半分以上は階段になっている。 道路の両側の家の屋根がくっつき、両方の家の壁の間が通路になっている状態だ。 このような道路でも集落内の主要道であるから、郵便局もあれば、役所の分所もある。散髪屋・鮮魚店・呉服店・洋品店もあり、宣伝用の看板も多く揚がっていた。 でも、万一火事が出れば、消防車が入れないし、延焼の危険が大きいなあと心配だ。 和歌山県の歴史散歩 山川出版社 和歌山県高等学校社会研究会 1995 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和60年 和歌山県の地名 平凡社 下中邦彦 1983 |
雑賀碕の町並 |
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雑賀碕の町並 海岸近く平地になっている部分で、比較的広い道路 |
雑賀碕の町並 海岸近く平地になっている部分で、比較的広い道路 |