川辺村の北方の雄ノ山峠を越えてこの村に入った紀州街道(大坂街道)は、一方は南下して紀ノ川を渡り、吐前村よりさらに南下する熊野街道となり、もう一方は西に進み小豆島村を経て紀ノ川を渡り和歌山城下に入る大坂街道となっていた。いわゆる紀州街道と熊野街道の交わるところであった。 天和2年(1682)の記録では家数127・人数649。 天保10年(1839)完成の紀伊続風土記によると家数131・人数492。街道に沿うため課役も当然あったと思われ、家造りはやや良いとされるが、特に産業もなく、村高(慶長検地高目録では高882石余り)に比して人口が多いのが説明できない。明治6年では戸数150・人数627。 今でもこの集落は田園の中の農村集落であるが、ビックリするような豪農の屋敷があったり、江戸時代の陣屋そのままのような大きな民家があったりする不思議な農村集落であった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和60年 和歌山県の地名 平凡社 下中邦彦 1983年 |
川辺の町並み |
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