伊勢本街道と和歌山街道を結ぶ道筋に立地して、熊野・伊勢の海産物を櫛田川・高見峠越えで奈良盆地に運ぶ要地であった。 宇太水分神社の門前市として、古くは単に市場と称していたが、慶長4年(1599)福島掃部の宇陀松山城入封で、同城下町に商業機能が移されたことに伴い、古市場と改称されたようだ。 古市場村は江戸はじめは松山藩領であったが、元禄8年(1695)からは幕府領のまま明治を向えている。 山村のため稲作は振るわず、畑作に特色が見られ、柿・茶・紙木・山椒・漆などの諸役定納が見られる。江戸も後期になり特産商品として定着していったものに葛粉・煙草・大豆・菜種・大麦・小麦などの畑作物がある。 宇太水分神社の門前町として発展していった。宗門改帳によると、安永8年(1779)家数68・人数292、文化9年(1812)家数82・人数414、弘化3年(1846)家数119・人数464、嘉永6年(1853)家数202・人数504、安政2年(1855)家数202・人数534とある。幕末近くなり人数が急激に増えているのは、飢餓に際して町場に流入した人がそのまま定着したためのようだ。 今古い町並は芳野川右岸の旧国道沿いで展開する。明治に入ってこ宇陀郡・吉野郡の木材集散地、商業の中心地として発達してきた。緩く湾曲した道に沿って重厚な伝統的様式の商家の建物が連なる。間口の広い切り妻造り平入りの中2階建ての商家の建物が連続して並ぶ町並は、江戸時代や明治時代そのままの光景だ。意識的に町並保存をされた様子もないのに、生活の場でこれ程整った古い町並は珍しく貴重な文化遺産であり、何時までも残って欲しい町並です。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1990年 奈良県の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 |
菟田野古市場の町並 |
菟田野古市場の町並 |
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