古くからの女人禁制の修験道の根本道場である大峰山上参りの登山基地として栄えていた。 元来、大峰山の山上参りは、熊野から入るのを「順の入り」、吉野山から入るのを「逆の入り」といい、洞川からは登らなかった。山上ガ岳での行が終わると洞川へ下りてくるのが通例だった。洞川から登るようになったのはバスが洞川まで通じるようになってからである。 江戸時代を通じて幕府領で、万治3年(1660)の家数94とある。家数・人数は享保6年(1721)51・186、安政7年(1860)93・618、明治9年125・653とある。 大峰山寺の本堂は、毎年5月初旬の戸開にはじまり、9月下旬に戸閉をしたのに合わして、洞川でもその期間だけ旅館や土産物屋・陀羅尼助の薬屋が営業していた。休業中は山仕事を生業としていたが、20年ほど前から温泉が出るようになり、温泉目的で来る観光客が増え、今までの季節旅館はなくなり、どの旅館も通年営業をするようになった。 古くから道路に沿って並ぶ旅館は、部屋を開けっ放しにしていて大変開放的である。これは大勢の講中の方々が一度に行者装束して出発できるように考えられたものである。 都会から遠く離れ、道路事情も良いとは云えないこのような土地で、過疎化とは関係ないように賑わった旅館街が展開している。胃腸薬の阿弥陀助を売る店も多く、活気溢れた温泉街である。昼に訪ねたのに、あちこちでこれから山上に向う方たちを送り出す法螺貝を吹き鳴らす音が聞こえた。 道路に面した旅館は全て木造の2階建てで統一され、古いものは江戸期に建ったものもあるだろうが、殆どは明治期から昭和にかけて建てられた建物だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1990年 奈良県の歴史散歩下 山川出版社/奈良県歴史学会 1993年 奈良県の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 関西小さな町・小さな旅 山と渓谷社 山と渓谷社大阪支局 1997年 |
洞川の町並 |
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