大和高田市の
旧伊勢街道沿い町並み

永和町・北片塩町・大中南町・大中東町・南本町
地図


大和高田市北片塩町の町並

 大和高田市の古い町並については、大和高田市本町のページと場所が殆ど変らないので、そちらを参考にされ、ここでは横大路(伊勢街道)に沿った町並について記述します。
古代からの官道 横大路(伊勢街道)と、奈良市歌姫町から大和郡山・五條を結ぶ下街道が交差する交通の要衝であった。
慶長5年(1600)に、今の高田川の西の有井にあった正行寺を、現在の専立寺の地に移し、専立寺と改称し高田御坊といわれた。高田御坊専立寺ができると寺内町が形成された。この寺内町は商業的性格の強いものであった。
寺内町を中心とした高田村は、元文4年(1739)では家数516、人数1800で明和6年(1769)の村様子大概帳では家数674、人数2463とないる。高田村の南東の三倉堂村は横大路(伊勢街道)沿いに発達した村で、専立寺寺内町の商工業の影響と街道筋のためこちらも商工業が発達していた。安政4年(1857)には石屋、種屋・糸屋・酒屋・たばこ屋・あめ屋・桶屋など多くの業種が見られた。明治15年には家数202軒・人数1,005人であった。
江戸時代の高田村や三倉堂村ははじめ新庄(布施)藩領であったが、天和2年(1682)からは直轄領となり明治に至った。
高田村近郊では江戸期の中頃から換金作物の栽培が多くなり、綿花・葉煙草・菜種などが栽培された。そしてこれらの作物に伴って商工業も発展し、綿問屋・綿取引商人が多くなり、綿商人の屋敷が寺内町や街道筋に連なった。
その中心となる綿問屋として、高田村には松村屋・村島屋などがいた。
古い町並みを構成する伝統的な商家の建物は、平入りの切妻造り、中二階建てで漆喰の塗り込めの虫籠窓、昔は全部本瓦葺きであったろうが今は殆どが桟瓦葺きになっていた。出格子、格子で煙だしを付けた商家も多かった。
この横大路(伊勢街道)を江戸時代には、伊勢神宮へ向かう「おかげ参り」の人々が、団体で通り賑わっていたとは想像もできないが、今もこの細い道を幹線道路なみに多くの車が通っていた。
町並み指数 40
参考文献
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  1990年
  奈良県の地名  平凡社  下中邦彦  1981年


大和高田市永和町の町並

大和高田市 左永和町 右北片塩町

大和高田市内本町の町並

大和高田市大中南町の町並

大和高田市大中東町の町並

大和高田市大中東町の町並
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