葛城市当麻は奈良県の北西部、二上山東麓、當麻寺門前に位置し、平安朝以来當麻寺詣の隆盛によって門前町として繁栄した。 当麻村の江戸はじめは幕府領、元和5年(1619)郡山藩領、延宝7年(1679)からは幕府領となり幕末を迎える。村高は「慶長郷帳」「寛文郷帳」ともに421石余、「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに526石余。享保7年(1722)村明細帳によると、家数110・人数421、牛10、酒屋1・大工1・桶屋1とある。 農作物は米・麦・綿花のほか、畑作物に栗・ひえ・とうきび・菜・大根を、農間稼として男は山稼ぎ、女は木綿稼ぎであった。 文政10年(1827)の調べでは、家数168・人数505、牛8。天保14年(1843)の明細帳では家数115・人数466、牛7と漸減している。 村内にある當麻寺は高野山真言宗・浄土宗を兼帯の名刹で、本堂・金堂などに安置されている仏座像・曼荼羅図や東西両塔、日本最古の梵鐘など国宝・国重文・県文化財が数多くある。また、ボタンの名所としても有名である。 當麻寺門前では旅籠が多くあり、玉屋・米屋・菊屋・扇屋・松屋・大坂屋などがあり、その他に造り酒屋、織屋が多く、油屋・桶屋・銭湯もあったという。 當麻寺の向かって参詣道が一直線で西に伸びている。その両側に平入で切妻造り中2階建ての家が建ち並ぶ。商家風の家屋、豪農風な家屋といろいろだが、土蔵は妻を街道に向けているのが多い。見越しの松も見られる落ち着いた感じの参詣道の集落風景だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1990年 奈良県の歴史散歩下 山川出版社 奈良県歴史学会 1993年 |
当麻の町並 |
当麻の町並 |
当麻の町並 |
当麻の町並 |
当麻の町並 |
当麻の町並 |
当麻の町並 |
当麻の町並 |
当麻の町並 |
当麻の町並 |