白浜町日置の町並み
日置
地図


日置の町並
 日置は日置川河口右岸に位置している。
江戸時代は和歌山藩領御蔵所、周参見組に属していた。幕末期の記録と見られる二歩口役所控によれば家数200、磯網6帖、地引網2帖、ハマチ網1帖で漁船は志原・笠甫・市江の小名と合わせても32艘しかなく、漁業は零細であったようだ。木材の出荷も少なく、切木柴のような薪稼ぎが中心であったが、川筋の村々から薪・炭・木材が出され、日置浦は木材の廻船が寄港する浦として町並みが形成されていった。
「紀伊続風土記」によれば「材木の廻船数隻諸国に通ひ、繁栄の浦なり、故に人家数百並列して町をなし、小名も多し」とあり、家数370・人数1,464、小名には市江・志原・笠甫・箕輪などがある。
明治6年には家数385・人数1,559。明治10年頃には家数384うち商業47・工業24・漁業40・雑業273とある。明治24年には家数835・人数3,521であり、養蚕が盛んとなっていた。
今、伝統的な様式の古い町並には平入り・切り妻造りの商家の建物が連なる。どうしてこの様な町並が残っているのか不思議に感じるが、過っての木材の集散地、木材廻船の寄港地としての繁栄の名残だ。
平屋・中2階建て・2階建てと建築様式も古さも異なる建物だが、それらがうまく調和して古い町並を形成している。なかなか見ごたえのある古い町並だ。
今のところ何ら保存対策は講じておられないようだが、この町並みがこのまま残っていくとは考え難いので早い時点での保存対策を望みたいものだ。
町並み指数  50
参考文献
   和歌山県の歴史散歩  山川出版社  和歌山県高等学校社会研究会  1995
   角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和60年
   和歌山県の地名  平凡社  下中邦彦  1983

日置の町並

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