桜井から延びる多武峰街道に沿って下・倉橋の集落がある。桜井市街の南方に広がる山麓一帯を多武峰といい、談山神社はその山頂付近にある。談山神社は明治初年の廃仏毀釈で神社になるまでは、多武峰寺、または単に多武峰と称する寺院であった。 初瀬街道と上街道が交差する辺りに発達した桜井の町から、多武峰に通じる道が多武峰街道で、その道に沿って多武峰入口に当たるところに下・倉橋の集落がある。また下は聖林寺の門前集落でもあり、街道沿いの商業地でもあった。 江戸時代のはじめは、下は旗本別所氏知行、のち幕府領、元和5年(1619)からは伊勢津藩領となっている。倉橋は幕府・旗本上野氏・旗本別所氏の相給から多々の変遷を経て、元和5年(1619)からは郡山藩・伊勢津藩の相給であった。 家数・人数は「宗国史」によると下は37・192。倉橋は津藩領分のみで31・150とある。 今、古い町並は下集落では造り酒屋を中心に街道筋の町並の様相を呈しているが、南側の倉橋では、街道筋の感じではなく、山村集落ののどかな感じを醸しだしていた。 両集落とも古い家屋の建築年代は、江戸時代もあるでしょうが、殆どは明治から昭和初期に建てられた建物のようだった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1990年 奈良県の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 奈良県の歴史散歩下 山川出版社 奈良県歴史学会 1996年 |
倉橋の町並 |
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下の町並 |
下の町並 |
下の町並 |
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