三輪は古代大和期から見える地名で、大和川(初瀬川)の上流右岸の三輪山麓に位置している。 古代の三輪地方や三輪の大神の伝説や神話は多くあり興味も深いが、本題から外れているので記載はしないでおこう。 平安期に入ると奈良から初瀬・伊勢へ向かう上街道沿いの交通の要衝にあり、三輪市が開かれていたことが知られている。 江戸期に入ると、慶長5年(1600)織田有楽領、元和7年(1621)幕府領、宝暦12年(1762)清水家領、寛政7年(1795)幕府領、文政7年(1824)再び清水家領となり、安政2年(1855)から幕府領となった。 三輪村は大神神社の門前町、上街道沿いの市場町と両方の性格を持って発展した町で、人馬の継ぎ立てもあるが宿場ではなかった。天保12年(1841)村役人達は問屋をつくって、人足・本馬・軽尻の賃銭を定め、清水家役所に願い出て、ようやく宿場に準ずるものとして認められた。 問屋の他、茶屋や土産品販売をする家も多く、それらの家が建ち並んでいたという。特に素麺の生産は盛んで「三輪素麺」の名で知られていて、高取藩主が三輪素麺を幕府に献上していて「大和志」や「大和山海名物図会」にも三輪素麺が紹介されている。 宝暦13年(1763)村明細帳によると家数370軒・人数1,439人とあり、「女ハ奈良芋かせ素麺稼仕候」とあり、素麺の生産は女の副業であったらしい。この三輪素麺は今でもこの地の名産品でその名は全国に知られている。 町並は三輪を中心に展開し、門前町・市場町・在郷町としての名残を多く残す。切り妻造り平入り、中2階建て本瓦葺きで煙だしを備えた重厚な商家の建物が連なる所もあり、見ごたえのある町並である。 中には木製の屋根付きの大きな看板を、一階の屋根に載せた店も2・3見られ、町並のあちこちに古い石の道標も残った静かな落ち着いた町並である。 奈良県の歴史散歩下 山川出版社 奈良県歴史学会 1993年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1990年 奈良県の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 |
大神神社横の町並 |
金屋の町並 |
三輪の町並 |
三輪の町並 |
三輪にある老舗の和菓子屋さん |
三輪にある造り酒屋さん |