奈良市高畑町は旧東山街道(柳生街道)の入口である。江戸期には高畠と呼ばれ、文禄4年(1595)に興福寺領となり、以後江戸期を通じてそのままで推移した。奈良町の東南に位置し、興福寺の南に接していた。 高畠村は奈良町に接しているため次第に町場化し、高畠村の一部が高畠町となり、奈良町の一町としての扱いを受けるようになった。 村内は東部の上高畠、西部の下高畠に大別され、上高畠は春日神社の禰宜町で神官や禰宜が多く住み、下高畠は奈良町に接し商家などの町屋の町となっていた。下高畠の町場は東山街道(柳生街道)に沿って町場化していった。 明治4年官社制度および神官の世襲廃止の布告に伴い、春日神社社家・禰宜は神職を免じられ、次第に多くが離散していった。このため屋敷地は荒廃し多くの町の名が消えていった。 今でも旧東山街道(柳生街道)に沿って古い町並が展開する。奈良町の福智院町から続く旧東山街道に沿って荒格子を備えた奈良の伝統的様式の町屋が連なる。多くは切り妻造りの平入りで虫籠窓を備えた中2階建てで、本瓦葺きを残した家屋や煙り出し・袖壁の備わった家も多く残っていた。 観光客が多く訪ねる奈良公園や奈良町の隣にありながら、志賀直哉旧宅や新薬師寺以外を訪ねる観光客は全く無い。しかし古い町並は奈良町に匹敵する規模と残存率であった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1990年 奈良県の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 |
高畑町の町並(県道80号線西側) |
高畑町の町並(県道80号線西側) |
高畑町の町並(県道80号線西側) |
高畑町の町並(県道80号線西側) |
高畑町の町並(県道80号線西側) |
高畑町の町並(県道80号線西側) |
高畑町の町並(県道80号線東側) |
高畑町の町並(県道80号線東側) |
高畑町の町並(県道80号線東側) |
高畑町の町並(県道80号線東側) |