新庄町の町並み
新庄町新庄
地図


新庄町新庄の町並

 近鉄御所線新庄駅の西方約1kmのところに、屋敷山古墳があり今は古墳公園として整備されているが、その周辺が近世に桑山氏の陣屋があったところである。
関ヶ原の戦い後の慶長6年(1601)桑山一晴が入封し、陣屋を築き、城下町(陣屋町)の町割りをした。
このように江戸初期は桑山氏の新庄藩領であったが、天和2年(1682)桑山一尹の改易で以後幕府領とる。明和6年(1765)村様子大概帳では、家数256・人数1,140となっている。
町割りは南から順に東西に走る裏町通り(現住吉通り)・本町通り・桑海町通り(現桑の町通り)の三筋で、裏町通りと本町通りの間は35間、本町通りと桑海通りの間は30間、裏町通りの南側、桑海町通りの北側の屋敷の奥行きはそれぞれ15間で、その外側は竹薮が取り囲んでいた。また各通りの間には排水溝が作られたので、住民の家屋は大体間口8間・奥行き15間であった。3筋の町並をつなぐ南北の通りが4筋あり、それらの道路で区切られた区域は西から上町・中町・下町と呼ばれた。
寛政5年(1793)屋鋪御歳貢名寄帳でが家数286を数え、文政2年(1819)では酒や味噌・醤油の醸造業・糀屋・油屋・荒物屋・質屋・木綿屋・小間物屋・呉服屋・豆腐屋・炭屋・魚屋・大工などあらゆる職種の商人や職人がいたようで、商工業中心の在郷町であった。
今も町割りは殆ど江戸初期の町割りのままで、近隣の町割りの様子とは大きく異なり、江戸初期の陣屋町が造られた当時のまま残っている。
東西3筋、南北4筋の道路に囲まれた旧陣屋町の区域では、古い伝統的な家屋の入口は東西に伸びる道路に面して入口があり、北向きか南向きに限られ、全て道に面して平入りに建っている商家の建物である。妻入りを捜しても殆ど見つからなかった。 
町並み指数 50
参考文献
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  1990年
  奈良県の歴史散歩下  山川出版社  奈良県歴史学会  1993年
  奈良県の地名  平凡社  下中邦彦  1981年     


新庄町新庄の町並

新庄町新庄の町並

新庄町新庄の町並

新庄町新庄の町並

新庄町新庄の町並

新庄町新庄の町並

新庄町新庄の町並

新庄町新庄の町並(この写真のみ南北の通り)
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