奈良市南部、旧上街道沿いに帯解寺がある。安産祈願の人が絶えない寺で、今市・柴屋付近の総称「帯解」の元となった寺院である。 帯解は上街道(初瀬街道)と五ヶ谷街道が交差する交通の要衝で、江戸期を通じて興福寺領であり、地内に宿場が形成され旅籠屋や名物地黄箭飴を売る店が軒を並べていた。 「芭蕉翁反古文」で芭蕉も訪ねていることが判る。 明治15年頃の家数・人数は今市村では124軒・466人。柴屋村では48軒・160人との記録が残る。 今、古い町並は旧上街道と五ヶ谷街道の交差点辺りに展開する。奈良市内に多かった荒格子は殆ど見られないが、煙り出しの備わった平入りの伝統的な様式の建物が連なる。 南北に走る旧上街道沿いには商家様式の建物が、東西に通る五ヶ谷街道沿いは農村集落的な家屋が多く見られた。これは旧上街道(初瀬街道)が人の往来が多かった証であろう。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1990年 奈良県の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 |
今市町の町並 |
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