大阪府東大阪市と奈良県生駒市との境界にある峠。標高452mの高さがある。河内と大和を直線的に結ぶ急坂の少ない暗峠越えの奈良街道の道筋。今は国道308号線という国道であるが、道が狭く小型の車しか通行できない。 江戸期には大和郡山藩の本陣や旅籠が置かれていて、参勤交代や伊勢詣で賑わい、大坂の中心部と奈良を結ぶ最短距離にあたるため、物資輸送路としても賑わった。 この峠は松尾芭蕉の最後の旅路となったところで、芭蕉が暗峠を奈良から大坂に越えたのは元禄7年(1694)年のことである。当時の賑わいは「河内名所図会」に「大坂より大和及び伊勢参宮道なり。峠村に茶店、旅舎多し」とある。また同書の挿絵には掛け茶屋・宿屋・高札場と人の往来の盛んな様子が描かれている。 明治初年、暗峠には20戸近くの家があったが、大阪鉄道(現JR関西本線)や大軌鉄道(現近鉄奈良線)が開通し、峠集落もその機能を失い衰退してしまった。 現在でも峠には石畳の道や道標・石碑などが点在し、多くのハイキング客が訪れている。信貴生駒スカイラインの西側には、伝統的な様式の家屋が一部残っていたが、同スカイラインの東側は戸数は多いが、伝統的な様式の家屋は残っておらなかった。 角川日本地名大辞典 奈良県 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1990年 角川日本地名大辞典 大阪府U 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 奈良県の歴史散歩上 山川出版社 奈良県歴史学会 1993年 大阪府の歴史散歩下 山川出版社 大阪府歴史散歩編集委員会 1990年 奈良県の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 大阪府の地名U 平凡社 下中邦彦 1986年 |
信貴生駒スカイラインの西側の町並 |
信貴生駒スカイラインの西側の町並 |
信貴生駒スカイラインの西側の町並 |
信貴生駒スカイラインの西側の町並 |
信貴生駒スカイラインの西側の町並 |
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