近鉄田原本線箸尾駅の南に位置する、広陵町萱野・弁財天などの地域は、中世には箸尾と云われていた。奈良盆地の西部に位置し曽我川、葛城川、高田川が大和川と合流する地点に近く低湿地でドタ(湿田)が多く、水田に灯心用の藺草栽培も多く、綿栽培も盛んであった。 一方で旱損の被害も多く、堤防決壊による洪水禍もあり、「水つき一番、日やけ一番、嫁入りするなら箸尾にやるな」とまで云われた。 箸尾村は江戸初期は幕府領1,800石余、大福寺領30石の相給であったが、幕府領は元和5年(1619)郡山藩領となる。 箸尾村は貞享2年(1685)から元禄15年(1702)までの間に、萱野村・大場村・的場村・弁財天村・南村に分かれて分村した。 その中の箸尾萱野村は王寺村(現王寺町)から田原本村(現田原本町)を経て三輪村(現桜井市)に至る三輪街道と下街道の交差する辺りに集落が発達していて、在郷的な性格を持った町場だった。 元和5年(1619)以後郡山藩領。享保9年(1724)家数90・人数402であった。尚萱野村の一角に教行寺の門前町で教行寺町と称する町家があり、家数35・人数191であった。 今古い町並は旧下街道と三輪街道の交差点を中心に展開していた。農村集落でありならが、今は仕舞屋だが、商家の建物が連続し、近世に於いて在郷町としての町場であったことが伺える。 切り妻造り中2階建て、漆喰塗り込めで袖壁が付き、商家の建物の特徴の格子、出格子、バッタリ、大戸等を備え、商品陳列のため軒が深い家が多く見られた。 奈良県の歴史散歩下 山川出版社 奈良県歴史学会 1996年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1990年 奈良県の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 |
萱野の町並 |
萱野の町並 |
萱野の町並 |
萱野の町並 |
萱野の町並 |
萱野の町並 |
南の町並 |
弁財天の町並 |