広陵町は奈良県の北西部に位置し、広陵町の中ぷ部から南西部にかけて三吉・疋相集落がある。 この地域の江戸時代の支配は郡山藩領が多くを占めるが、多武峯領・法隆寺領・大光院領・秋篠寺領・大知院領・内山永久寺領などの相給であった。 三吉は明治9年に赤部村・大垣内(おおがいと)村・斎音寺村が合併して成立した村。「町村誌集」によると明治15年頃の戸数は202・人数1143という。 この地域も稲作を主とした農村集落であるが、溜池に頼っていたため用水不足が深刻であったので早くから綿栽培が行われたいた。 三吉の大垣内地区はこの地方の中心的な性格を有し、町場が形成され商家が連なっていたと思われる。 今、集落内を歩くと、南北の道と東西の道が交差した辺りに、かって町場が展開していたような様相を示し、商家のような建て方の家屋が点在している。本瓦葺きの家屋、煙出しを残した家屋などが点在する光景は、道行く人で賑わっていた頃を彷彿とさせる。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1990年 奈良県の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 |
三吉(大垣内)の町並 |
三吉(大垣内)の町並 |
三吉(大垣内)の町並 |
三吉(大垣内)の町並 |
三吉(大垣内)の町並 |
疋相の町並み |
疋相の町並み |
疋相の町並み |
疋相の町並み |
三吉(赤部)の町並 |