川西町は奈良盆地の中央部で最低平部、標高40〜48mの低地帯にある面積5.5kuの小さな自治体である。 川西町の中心地は結崎で、南東から北西に流れる寺川の自然堤防上に形成された町並で、中村・市場村・辻村・井戸村などの集落があった。 今回歩いた町並はその中でも結崎市場村である。 元和郷帳では「夕崎村」として、村高は2,225石余で、内1,496石余が御番衆領、729石余が幕府領(代官大久保長安)。元和元年(1615)郡山藩領となり、その後五ヶ村に分かれ、ここ結崎市場村の他、中村・辻村・井戸村・梅戸村となった。 享保9年(1724)の和州御領郷鑑には結崎市場村の家数36軒・人数137人とある。 産業としては灯心の原料となる藺草栽培が行わた他、奈良盆地の他の村同様、綿の栽培が盛んであって、綿繰りや糸つむぎや機織も行われ、大和絣に発展した。 明治10年各村域が入り組んでいることから、寺川左岸の梅戸村を除き、右岸の市場村・中村・辻村・井戸村・出屋敷が合併して再び結崎村となった。 今町並を歩くと、奈良盆地の農村集落の佇まいで、自然発生的な道に沿って集落の町並が展開している。商家の建物などは殆ど無く、切り妻造りの大棟を一段落とした家、入り母屋造りの家などが、広い敷地に建てられている農村集落であった。 奈良県の歴史散歩上 山川出版社 奈良県歴史学会 1996年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1990年 奈良県の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 |
結崎の町並 |
結崎の町並 |
結崎の町並 |
結崎の町並 |
結崎の民家 屋根の勾配がいろいろと変化していて、 タカへが片方に付く変化のある大和棟の家 |